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地理空間情報の活用

小石川後楽園の紅葉 と 日本3大名園

  『小石川後楽園の紅葉』
   小石川後楽園の紅葉を観てきた。今年は一気に寒くなり、一斉に色付いた街路樹の紅葉が美しい。掃除する間も無かったのか、ここかしこの道路が落葉の絨毯になっている。所属グループのボランティアガイドに案内していただき、園内をくまなく巡った。最盛期の赤・黄色の紅葉は、Webガイドの写真以上に素晴らしい。 小型デジカメで舞散る落葉を撮影した。
   
teien.tokyo-park.or.jp/contents/outline030.html
     小石川後楽園 写真一覧


◆小石川あたりの古来地図    Google Earth・Map から      ※クリックで拡大
   水戸藩邸跡の後楽園周辺の古地図を検索。公園内に江戸川上水の痕跡がある。江戸城の飲水を確保した江戸川上水である。その後 神田上水、神田川と変遷する。幕府の大規模な灌漑工事で流路は大きく変遷したが詳細は不明らしい。Googleラムゼイ歴史地図で当時を垣間見る。

  年代ドーム球場 と後楽園水道橋あり と神田川
Tokyo 1799 年i0003.jpgImaget.jpg
Tokyo  1858年i0004.jpgi0010.jpg
現在航空写真i0007.jpgi0009.jpg
◆明治期以降の地図変遷 (国土地理院地図)
  小石川近辺は時代を反映し、兵器工場・兵舎から野球場、遊戯場、ドーム球場に変っている。
      
埼玉大学人文地理研究室:今昔マップ から
明治期1896~19091944~1954
明治期迅速地図 から1896~1909年1944~1954年
1975~19781992~19952005~2014
1975~1978年1992~1995年2005~201



◆日本三名園の名称由来
『後楽園』:岡山 江戸初期に岡山藩主・池田綱政によって造営、元禄文化を代表する庭園。 江戸期は延養亭を茶屋屋敷、庭園を後園または御後園と呼んだ。1871年(明4)、一般開放するにあたり『後楽園』と改称。
◎『偕楽園』:水戸 九代藩主徳川斉昭は、1833年(天保4年)水戸の千波湖に臨む七面山を切り開き、回遊式庭園とする構想を建てた。同じく設立した藩校弘道館で文武を学ぶ藩士の余暇休養の場へ供すると同時に、領民と偕(とも)に楽しむため、この大名庭園を斉昭自ら、「偕楽園」と名づけた。偕楽とは中国古典である『孟子』の「古の人は民と偕に楽しむ、故に能く楽しむなり」の意がある。
◎兼六園;金沢   兼六園の名は、松平定信が『洛陽名園記』を引用、宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の6種の景観を備えることから命名。   2009年、『ミシュラン観光ガイド』3つ星(最高評価)を得た。
  ※小石川後楽園 1629年(寛永6年)、水戸徳川家水戸藩初代藩主・徳川頼房が作庭家・徳大寺左兵衛に命じて築いた。嫡子:光圀が改修、明の遺臣朱舜水(朱之瑜)の選名で「後楽園」と命名。出典は『岳陽楼記』の「天下の憂いに先じて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」によっており、岡山市にある後楽園と全く同じ。 岡山と同名のため、『小石川』を付して称する。
  

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*Edit   
  • 近所の秋紅葉
  • 2017年(平成29年)